ちゃお〜
本当の体の使い方を手に入れるためのブログです。
「からだはしほん」そして「経験は財産」
豊かな人生に+αするために、経験と言う財産についても考えましょっ♪
生きてきたら何かしら経験をしているもの
「よく人に話せるような経験なんてありません」という方がいます。
私もその一人でした。
でも、生きてきたらならそれなりに経験はあるものです。
そう言うことに気づかされれました。
私も「何もなくない」です。
そしてあなたもです。
当たり前のように経験しているからこそ、自分にとっては普通なだけで、人からしてみたら意外と凄いことだったりするみたいです(笑)
「この人すごいな」って思っても、その人にとっては普通のことだったなんてこともよくありますよね。
そんな経験を誰かに伝えることで、その人の人生のきっかけになったら、それはそれで面白いんじゃないかと思います。
簡単な自己紹介
出生
時代は昭和、神奈川県に生まれました。
何年も何度も流産を経験した両親にとって、待望の子。
両親は共働きでしたが、子育てがしたいと私の誕生を機に父親は起業。
母親がしばらくは外で働き、父親が家で自営+子育てと言う、今なら普通だけれども、当時としたら異様な家族でした。(もちろん私にとっては普通です)
甘やかされて育ちました。
その中にも厳しさもちゃんとあり、全ての責任は自分自身にありました。ただ何かあったときは全力でサポートしてくれる両親の元、自由奔放な幼少時代。
父親がなんでもやり、なんでも答えてくれたので、言葉の発達が遅かったそうです。病院では「お父さんが黙れば喋るようになります」って言われたそうです(笑)
大きくなってからそれを聞いて妙に納得。私に対する質問にも全て父親が答えている実態を目の当たりにしたときは笑えました!「これかぁ〜」って(笑)
と言うわけで、めちゃくちゃ静かな子でした。群れることが好きとか嫌いではなく、ただただ我が道を行っていました。
YesとNoははっきりしていましたが、自己表現は得意ではなく、人前で話すことも、誰かの前に立って何かをするのも、緊張するので嫌がっています。
義務教育時代
小学生低学年の頃は野球が好きでした。野球選手になるのが夢でした。
小学生中学年の時に出逢った先生の影響でイタリアという国が好きになりました。
初めて「イタリアに行きたい」という夢を掲げます。
小学5年生の頃、サッカーに出逢います。
「イタリア」と「サッカー」がリンクして、将来は「イタリアに住む」と決めました!
中学生活はボチボチ。とりあえず一日一日をこなす感じでした。
学校に行って、変えてきてはサッカーの練習に行ったり、校庭でボールを蹴ったりする毎日。
中学卒業の時に「イタリアに行きたい」「イタリアで生活しながらサッカーもしたい」と言ったら、さすがに高校は出て欲しいと両親に言われました。
渋々、高校を卒業したらイタリアに行っても良いという条件付きで高校進学を決意。
高校時代
高校生活を楽しみつつも、夢は諦めませんでした。
高校2年の時、イタリア語会話を数ヶ月習い始めます。
イタリア語の教室はほぼ皆無で、唯一近場で通えるところに週1〜2回行きました。もちろんグループレッスンなんてものはなく、講師も都内から来てくれる個人レッスン。
夏休みには、留学の場所を二つに絞って母と現地視察に行きました。
ここで出逢った日本人の方に「Yuriちゃんなら〇〇の方がいいかもね〜」と言われ、そこに留学を決めました。そのときは『なぜだろう?』と思いましたが、今ならなんとなくわかります。
日本に帰ってからは、ひたすら留学の準備。
高校の先生に聞いても「イタリアはフランス語か?」という始末…英語で何て書いてあるか聞いたら「勉強になるから調べてみな」って…だったらイタリア語で調べるわっ!
父親が色々調べてくれて、私が辞書片手に書類を見ながら自力でなんとかしました。
結果、日本からの手続きは無事に終わり、高校卒業から3日後にはイタリアにいました。
このときはなぜか悪名高きイタリア大使館もイタリア文化会館もすんなりでした。(後から悪名高きと知りました)
イタリア時代
初期
最初の数日間だけは通訳を雇いました。
めちゃくちゃいい人で、大学の手続き、携帯電話の購入、アパートの契約、サッカーチーム探し、全て助けてくれました!全てがトントン拍子♪
今考えると、イタリアでこのトントン拍子は恐ろしいくらいあり得ないです。
感謝しかない。
日本で学んだイタリア語は3ヶ月間の授業で全て終わりました。
そこからはどんどん知らないことだらけの授業…やるしかないと思いつつも喋れない日々でした。
日本語すらまともに人と会話してなかったのに…イタリア語なんて…って思いもありつつ、でも自分で選んだんだし楽しいならやろうとと決めて、勉強しました。
外国人の友だちとは一緒にいても会話がすぐ途切れます(笑)伝えたいことが伝えられない…何をどう伝えたら良いのか分からなかったです。で、考えました。気付きました。答えは簡単なことでした。
私は母国語でもまともに会話できてないやん!(笑)
まずは日本人の友だちとも喋ることから始めました。幸いみんな年上の人たちで優しい人が多かったので、高卒で来た私に対してはかわいがってくれました♪本当にありがたかったです。
授業でも毎回のように自己紹介をする時間があり、何度も自己紹介をするうちに会話の流れが分かってきました。
みんな普通に会話してるけどすごいなーって思っているだけではダメ!遠慮なく色々聞いてみることにしました。そしたら今までよりも会話が続くし、その中で共通点が現れたりするんですね!
みんなは当たり前に考えずに出来ている事ですが、私にとっては「やろう」と思わなきゃ出来ない事でした。
中期
イタリアでの生活にも慣れ、良いところや悪いところも見えてきました。
フットサルでもサッカーでも認められ始め、様々なチームから声が掛かるようになりました。
ただ親のお金で留学していた為、金銭的には厳しい状況に…
考えた結果、イタリアの大学に入学することにしました。
そうすると手続きのために一度帰国しなくてはならないので、必要な書類をもらって一時帰国しました。大学には日本語学科もあり、助けてくれる方もいたので心強かったです♪
この時の帰国では悪名高き〇〇でやられました(笑)今となっては良い思い出ですが…なんであんなこと言われなあかんのかって不思議でした。でもみんなそうだったみたいなのでね。
色々ありつつも、無事に手続きを終えて再度イタリアへ。
あとは入学試験に合格すれば良いらしい!けども、いくらマークシート方式でも辞書は使っちゃダメというルール。簡単な問題もあったけど、言葉がわからない問題はもう勘でいくしかないです。
それでもビリではなかった(笑)
外国人はイタリア語の会話の口頭テストもありましたが、こちらもなんとか合格。
大学には行かない!って断言していましたが、晴れて大学生です。
後期
大学に通いながら、サッカーやフットサルをして充実した毎日。
テスト期間中はめちゃくちゃ憂鬱でしたが、得意な科目は良いけど、本当に苦手でわからない科目はどうしようもなかったです。
日本から翻訳されている日本語の本があったりして、送ってもらいましたが…日本語で読んでもわからないっていう(笑)イタリア語の方がシンプルに書いてあって良かったこともありました。
大学の教科書って文章ばっかで全然読む気になれないし、わかんない単語もたくさん。わかんないと思って同じ単語を何十回も辞書で引いている状態です。
時々、サッカー・フットサル関係の通訳の仕事ももらえたり、イベントを企画して通訳として来日したりもさせてもらえるようにもなりました。
2007年にはイタリアで女子サッカーセリエAデビューしました!
アウェイでのイタリア杯予選3試合目。結果は勝利。後半30分から出場しました。 15分間だけど凄く集中できてたし、慣れたトップ下での試合だったから楽しかったのを覚えています♫
ただ思うようにプレーできたシーズンとはなりませんでした…ぎっくり腰(今考えればヘルニア気味)と付き合いながらのプレーとなると、当たりの激しいセリエAでは辛い日々。歩くのもやっとの時期もあり、不完全燃焼でした。
このガラスの腰を持った状態で現状シーズンを戦うのは難しいと思いました。ワンシーズンで戦線離脱…その頃、目標としていた指導者の道。そっちを切り開こうと思い始めます。
そしてイタリア連盟のフットサル指導者ライセンスを取得し帰国しました。(当時日本ではフットサルの指導者ライセンスはあったかなかったかと言う時代)
日本での再出発
地元クラブやJクラブでコーチとして活動。
もちろん、フットサルではなくサッカーチームがほとんどでした。
プレーではフットサルを続けていたこともあり、地元のチームでプレーしています。その関係で女子フットサルの選抜チームを3年間担当しました。5年以内に「全国制覇」と言う目標を掲げていました。残念ながら、3年目に全国の舞台までは辿り着きましたが、その後は声が掛からず…
……
同じ理念を持つサッカークラブを裏方でサポートしつつ
地元のチームでプレイングマネージャーをしながらフットサルの普及活動。
そして、怪我をきっかけに自分の体を見つめ直す。
そんな時期に繋がっていくかのように【古武術の体の使い方】【魔法のロジカルテーピング】【超自然農法】と出会う。この出会いをきっかけに新たな夢を追いかけ始めます。
2022年3月に2年間、月に2回、愛媛と沖縄に通った畑中代替医療学院を卒業して、9月に地元で開業。
少しでもメスを入れることなく、みんなが歩いたり走ったり元気に動ける身体を長く持ち続けられるように。。。
アスリートにとっても普通に生活している人であっても、これからの時代は「体」が大切になってきます。人生100年時代だからこそ、必要とされる役に立つ技術を身につけて、みんなが幸せに生きる手伝いをしたいと考え始めました。
今まで経験してきた事を活かして
将来は…
あなたの健康とワクワクする毎日のために何ができるのかを考え、きっとあなたを健康に導き、安心と希望を与える生涯フットボーラーになります。
経験は財産
こうやって自己紹介をしてみると、大したことないって思っていた私ですが、色々やってきたなぁと思えます。
普通では経験できない経験をしているし、普通にできていない経験もあります。人生色々人それぞれ。だからきっと面白いんだと思いました。
そしてその中にヒントがあり、何かきっかけがあるかもしれないです。
皆さんの人生も全てが財産。
良いことも悪いことも経験した全てはあなたのものです!
関連投稿
あなたの体やあなたの経験はあなた自身がちゃんと大切にしてあげてください。
何よりもこのブログを読んでくれたあなたに、健康と希望を少しでも与えられたら幸せです!
より豊かに生きるためには富の源泉でもある健康と言うあなたの資産を大切にしていきましょー!!!共に豊かになりましょう。
H e a l t h i s w e a l t h .